桜と言う花は日本人のオーソドックスな美の形体ではありますが、これは欧米人にも通じる普遍的な情緒を感じさせる風合いを持っており、「HANA-BI」に続いて「DOLLS」でも浮浪者と化した男女が歩み行く道の両側にはびっしりと空間を埋め尽くす桜が静かに赤と白の中間色を彩っています。ただ「DOLLS」の美というのは、内面的な美が主体となっているため、山本耀司の奇抜な衣装に合わせて、北野武は生々しさの中に抽象的な枠組みを設定して、元々あった脚本のカラーを塗り替えると言う大幅な変更を余儀なくされましたが、それは「DOLLS」を自分のファッションショーにするという山本耀司の発想を逆手にとって、独自色に塗り替える北野武の手腕が一歩先を行く形となりました。

「菊次郎の夏」、「BROTHER」を経て「HANA-BI」を超える美の追求に従事した本作品は、本格的な恋愛物語という形式をとり、より日本的な鮮やかさを強調する結果となりました。要するに一途な愛の形を、純日本文学の中に見る分かりやすさと言うものを、引きずり出すかのように、最終的には悲しみに暮れる男女の哀愁が、色濃く反映されています。愛の喪失と言う一つの形態模写は、自動的に暴力とは正反対の作用を促しているようにも思えますが、心の痛みというショックが物語る中には暴力を上回る、この世の残虐性を秘めている事が分かります。

この「DOLLS」は、ロシアでも絶大な反響を呼び、今や北野武の最高傑作とまで称されるほどになりましたが、これも全て日本の四季を規則正しく描き、抽象的な舞台仕掛けの映像美を見せ付けたところに、一種の共感を超える感銘に繋がったという事実が全てを裏付けています。「DOLLS」におけるある種のメロドラマは、ストーリーの骨格になるというよりは、日本的な美を演出するための一種の創造過程における設定であると言えます。

1991年の「あの夏、いちばん静かな海」は、雨の中の風景も同化させて、青を強調した愛の形でしたが、「HANA-BI」では暴力描写も加わり、痛みというものの次元が徐々に強まり、「DOLLS」でその究極として、美形化された悲劇が全面的に雰囲気作りに効果を発しているところが、異色作と一部のマニアから言われる由縁があります。

「DOLLS」の時点で、北野武は55歳、さらに10数年が経過していますが、北野武が45歳の時点で思い描いていた、豊臣秀吉をテーマにした作品は未だ構想の段階にありますが、制作意欲に燃えるその情熱は、美意識とともに成熟していくことは間違いありません。

まず2010年の「アウトレイジ」は完全なるジャンルムービーとしての原型を形成しましたが、これは「TAKESHIS’」や「監督ばんざい」などの大作経てできた、ある種の総合的な娯楽と芸術の狭間の中から誕生した動的表現の集大成とも言えます。しかも続編の「アウトレイジビヨンド」はさらなる質の向上を実現させた、傑作であり大幅なスキルアップを遂げたと言えます。