北野武は映画監督として、高い評価を得ながらも、10年目の1999年6月「菊次郎の夏」を公開した際、各地の映画館は多くの観客で賑わいました。ようするに子どもに見せたい映画として、家族連れで「菊次郎の夏」を鑑賞した人が多くいたのです。しかしこの時点では北野武=職業監督としての図式は成り立たず、タレントとしてのキャリアが北野武のポテンシャルを支えていました。その後も精力的に「BROTHER」や「DOLLS」を発表していきますが、日本人の感覚にはあまりにも、ストイックでハッピーエンドが少ない北野のビジョンに対する総合的な理解度は、低いままでした。

2003年の「座頭市」で第60回ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞し、日本のマスコミが一斉に北野をワンランク上の文化的映画監督としたことから、より注目は集まり、北野武初の大ヒット映画がここに誕生しました。時代劇の中にタップダンスを取り入れたり、市が金髪であるなどの斬新な発想を盛り込んだことにより、評論家からの評価も良く、アメリカでも北野武の名は広がっていきました。通常であればこのまま職業監督として、ヒット作を連発させるような作品を量産させるところですが、2005年の「TAKESHIS’」は、ヴェネチアでも賛否両論に分かれ、日本では全く相手にされないという、これまでの評価とは裏腹な現実が待っていました。

北野武はあくまでも娯楽主義の道を歩みつつも、コミック的要素への懸念を拭い去る事ができなかったのです。しかし「TAKESHIS’」は、中毒性のある映画として、年を経るごとに徐々に世間の理解度は増して行き、北野武の映画監督としての存在感は、タレント以上のモノになりました。

北野武が映画を撮り始めて25年経ちますが、早い段階からヨーロッパで高い評価を得て、それが日本人の心に到達した「アウトレイジ」まで20年の歳月を要しました。しかしその間、世に誕生した14本の映像作品全てがリスペクトされ、失敗作と言われるものも関係なく愛されています。

アウトレイジシリーズを撮り終えて、完全なる職業監督の地位を確立したわけですが、このまま商業作品を撮り続けるとは考えられません。理由として、北野武は右脳と左脳が交互に機能する芸術家かつ理論家の頭を持っているため、映画を100%観客へ捧げるのではなく、自己満足の領域を残して、その感慨に浸ると言う時間こそが醍醐味と考えているため、アクション一辺倒になったり、娯楽主義を宗教的理念にするなどということは、有り得ません。

まず70歳を前にして、北野武の脳内派生力がどこまで健在かということは、精力的なタレント活動からも分かるとおり、これらが映像作品の形成へと傾けられた時の総合的な美意識は、根本的な理念を覆すほどの力を発揮する事は言うまでもなく、アウトレイジシリーズの柔軟性に富んだストーリー展開から、新たなる世界感の誕生に世界中のファンは胸を躍らせています。