評価が低いとされている「みんな~やってるか!」は、ある種「監督ばんざい」の笑いの要素におけるシンパシーの共鳴に関して符合する点があることから、北野武は映画で自己を客観的に見つめるだけでなく、本当にやりたいことは何なのか、その答えを見つけるまでに時間がかかってしまったということもあり、「TAKESHIS’」、「監督ばんざい」、「アキレスと亀」の3部作に至っては、総合芸術の極みととれる、ある種複雑な形式で物語を展開させています。

北野本人も「TAKESHIS’」に関しては、すぐに理解されるとは思っていないという趣旨の発言を繰り返しており、難解とされる部門に対して熱狂したのは、ヨーロッパ人でした。日本でも「TAKESHIS’」公開から6,7年が経過して、評価も北野の予測どおり変わって来ました。いわゆる難解な「TAKESHIS’」を日本の若者達が楽しみ始め、これはデビッドリンチであるとか、総合的なオマージュであると言う風に、ようやくここに来て若者文化と北野ワールドは、夢とスパイラルの法則の中で一体化しました。

デジャヴ感覚の連続性が織り成す「TAKESHIS’」のストーリー展開は、トラウマの共鳴と言っていいほどに、じわじわと闇なのか光なのか分からない何かが、大きくなってきて、その暴発こそが、「監督ばんざい」のラストシーンの地球の終わりへと導かれたというところに、北野武がタイムリーで受け入れられない本当の理由があるのです。

実験的に行われた「3-4X10月」の上原が機関銃でヤクザ事務所を襲撃する映像が、デジャヴ形式で表現される件は、じつにポイントを明確に絞った一つのビジョンともとれます。これが「HANA-BI」の地下繁華街でチンピラに腹を撃ち抜かれる刑事の映像のオーヴァーラップへと繋がるわけですが、巧みな映像技術と編集能力があって初めてできる技がここに光っています。

これらの技術は未来と現在の交差点、もしくはフラッシュバックのショックというもを一つのインパクトとして、さりげなく映像に挿入するという、実にコアな仕事であるかということが分かります。そう考えると「TAKESHIS’」の演出は非常に大胆で革新的なシーンの集合体と言えます。バードパラダイスに機関銃を隠して、一気にぶっ放す一連の爽快感は「3-4X10月」だけに留まらず「TAKESHIS’」で機動隊から集中攻撃を受けたり、「BROTHER」のラストでもマフィアの報復に遭うなど、痛いシーンでありながらも観客をねじ伏せる様な、説得力を持っています。

「その男凶暴につき」で殺し屋が薬の売人をナイフで腹部を、何度も刺して死に至らしめる残虐性は、主人公の我妻を狂気に駆り立て、覚せい剤に犯された妹を射殺するまでに物語りは膨れ上がるという、たった一つの現象めいた点をビッグバンのごとく増大させる力量はすでにデビュー作から備えていた事が分かります。