日本に留まらず仁義というものは、映画の主題としては格好のネタであり、そこに暴力が加われば、ドラマチックで血なまぐさい人間物語が誕生します。ですから必ず愛がなければ成立しない世界なので、そこには暴力の応酬としての涙とは切っても切り離せない固定された、象徴として否が応でも存在し続けます。アウトレイジシリーズは、興行的にも成功し、評論家をも納得させる出来となりましたが、そこに愛は描かれていません。「あの夏、いちばん静かな海」や「菊次郎の夏」では純粋に生きる証明としての愛がそよ風のごとく描かれていますが、アウトレイジシリーズにおける仁義は話の隅に追いやられています。

そして残虐な殺しの応酬が連続的に描写されていきますが、ここにも北野のリズミカルな柔軟性を見る事ができます。ちょうど「アウトレイジ」が公開された翌年の2011年に、某関西系の暴力団の組長が出所した時の映像がニュースで放映されましたが、ジーンズに革靴と言うファッションテイストに、意外性を感じた人は多くいたはずです。アウトレイジに出てくるヤクザはまさに、前衛ブランドを身に付けた、これ以上ないリアルな現代社会をも浮き彫りにした格好になりました。

これまでの北野映画で中核を担ってきたのは、無駄の排除と言う究極のリアリズムへの挑戦と具現化された狂気の応酬でしたが、アウトレイジシリーズは、罵声がアクションのごとく一人歩きすると言う、北野にとっては前代未聞の挑戦になりました。「TAKESHIS’」や「監督ばんざい」で積み上げた次元を踏み越えたある種の殺意は、赤や青と言ったシンプルな色に集約されていきましたが、アウトレイジシリーズでは、黄金色とも言うべき、贅沢なキャスティングを施し、台詞の量を倍増させて、舞台劇のようなインパクトを生み出すことに成功したのです。

通常、大げさな演技は迫力があり、大衆演芸としての役者の立ち居地は上がる一方で、演出家の影は薄くなるというアクション映画には欠かせない現実が待ち受けています。しかしアウトレイジシリーズは、「BROTHER」に続き、アクション映画になることなく、エンドロールまで一貫した暴力によって、黒と言う名の印象を残すに留まっています。ここが北野武の感覚が観客の眠っていた興奮を活発化させるというある種の底力を見せ付ける結果になりました。

2013年夏、アウトレイジビヨンドはベネチア国際映画祭に正式出品され、多くの反響を呼びましたが、結果的には日本で最も愛された北野作品になったことは、新たな表現形態の創出となりました。また従来にはない迫力のあるカメラワークは、明らかに「監督ばんざい」や「アキレスと亀」で培った経験と技量が生かされており、北野武の成長が証明されています。「その男凶暴につき」での正面、側面、背面撮りという単純な構図ではなく、カメラの移動範囲がスムーズに前後左右を行き来して、さらにアップと遠景描写を明確にしていることから、新たなビジョンの形成が完成しました。