北野映画で最も評価が高いとされる「キッズ・リターン」は、北野武が暴力からの脱却を図り、希望を見出す若者の純粋な生き方からつむぎ出される美学を鮮烈に表現したアート作品と言えます。従来の北野武であれば、主人公の青年2人を1人はボクシングで、1人は暴力団の抗争で殺すというパターンもありましたが、2人はそれらの道で挫折しつつも、これから始まる人生の中で、何をすればいいのか、未来に向かって勇気ある一歩を踏み出して、幕が下りるという、映像もストーリーも美しい”希望”という形を表現しました。

しかし事故後の作品とはいえ、従来までの傑作揃いと言われる一連の作品群の中から、暴力の要素を極力抑えた本作品を作る事は、北野武にとっては一つの賭けでもありました。芸人としての裏返しが暴力であるならば、暴力を抑える作品を作ると言うことは、刺激的なニュアンスで進行するテレビの仕事も変化すると言う、二重のプレッシャーに苛まれるのです。そして北野武の背後にはマスコミと言う一つの舞台があり、常にそこで全てをさらけ出さなければ、映画監督としては◎でもテレビ人としては×というレッテルを貼られてしまいます。

まず「ソナチネ」の評価と「キッズ・リターン」の評価は二分され、どちらもマイナス志向とプラス思考の狭間で、爆発的な美意識に対する抽出が行われており、ヨーロッパでの評価は相乗効果も相まって、北野ブランドに対する賛美は止みません。

しかしヴェネチアやカンヌでの知名度を上げていく中にあって、”暴力からの脱却を図る北野の行く末”を案じる通信局の記者は”大衆性とマニアックな世界は水と油”と揶揄し、精神論的な「監督ばんざい」や「アキレスと亀」の評価が、賛否両論に別れ、北野武のヨーロッパでの地位があいまいなものになってきました。しかし世の中には脅威的なバランス理論と言うものが成り立っており、「アウトレイジ」に至っても、ヨーロッパ的でないという意見に替わって、アメリカで評判になるという、逆説的なプラス要素が満たされてきました。

それでは日本ではどうかというと、黒澤明以来の大巨匠と言うイメージが増大し、北野作品への評価は日を増すごとに大きくなっていて、アウトレイジシリーズのインパクトで、大衆性の中にあっても絶えうる映像作家としての地位を確立しました。アウトレイジシリーズはジャンルムービーとしての価値を見出すことができることから、北野武の将来的なビジョンは予測不可能とする意見は後を絶ちません。

ただイタリアやフランスなどヨーロッパの大国でしかも、映画を愛する国民性の中にあって、北野武の新作は村上春樹の小説に対する期待感を超えて、絶大な支持と期待を寄せられるため、基本的にはアメリカ寄りの作品であっても、深く愛されていることに変わりはありません。そこで待たれる次回作の期待値は、さらに高まるわけですが、北野の進化は想像を絶するバイタリティーとなって、放出されることは間違いありません。