2003年、第66回ヴェネチア国際映画祭で監督賞受賞に続き、シッチェス・カタロニア国際映画祭、トロント国際映画祭でも観客賞などの主要部門を制覇した「座頭市」は、日本の観客動員数200万人を超え、北野作品初の国内外での評価に正当性を帯びる結果となりました。しかし「座頭市」のどこがよかったかという問いに”クライマックスの連続斬りがかっこよかった”とか”金髪が斬新だった”というように、「DOLLS」までの詩的感覚は、影を潜めスタイリッシュな欧米的ヒーロー像がそこにはありました。

北野は、徹底してスピード感のある斬り芸を見せ付けただけでなく、観客の目線に立って、タップダンスを祭りのシーンに盛り込むなどの工夫を凝らすという、従来とは真逆の遊び感覚を軸にコマを連動させていきました。「座頭市」は、ある種の芸人根性をむき出しにした作品であるため、浅草時代に身に付けた芸の集大成を存分に打ち出した結果でもあり、人を歓喜させるには十分なエネルギーと即席的な知恵が冴え渡りました。

まず雨の決闘シーンは、黒澤明へのオマージュと言われていますが、むしろ服部源之助との海での一騎打ちの際に見せた、市の切り返しの動きこそ、「椿三十朗」のクライマックスにだぶると言う、うがった見方もできます。それでも北野武はここに来て、ようやく一般人の水準までランクを引き摺り下ろした格好になりましたが、2005年の「TAKESHIS’」では超が付くほどの難解な世界に逆戻りしています。

ここで再度、北野作品は見直され、新たなランク付けがなされていますが、「座頭市」は徐々にアクション映画から暴力映画という位置づけにシフトチェンジされていきました。これは血しぶきの量がCGとは言え、尋常ではないため、人によっては恐怖映画、まさに北野の黒の部分が浮き彫りにされ、決してハリウッド映画のような純情イメージとは異質なものであることが、証明されました。

ただ「座頭市」は、北野本人の意向で始めた企画ではないので、関係者は「座頭市」の完成試写の時に、あまりの完成度の高さに驚愕したと言います。また北野本人も「みんな~やってるか!」の中でダンカンを使って、座頭市のパロディーをすでにやっていることから、企画段階で総合的なイメージは湧いていたと推測できます。

北野初のアクションエンターテイメントと銘打って、封切られた本作品は、絵的な衝撃作として我々の脳裏に刻み込まれました。まずは冒頭の斬り合いから、血なまぐさが画面から溢れ出ており、その後の鈴木慶一の重くのしかかる音楽によって物語りは展開されていきますが、ヒットの要因として市が生き残った事は大きな安心要素として残りました。しかしガダルカナルタカと大楠道代との掛け合いは漫才のごとく、ある種のリズム感を生じさせ、最後まで退屈する事無く物語りは進行していきます。また悪役の設定に対するサプライズ演出も功を奏したといえます。